格差を生み出すのは・・・

 いま日経新聞では前FRB議長のアラン・グリーンスパン氏の自伝がコラム形式で連載されています。今日特にはっとさせられたのは格差が生み出される仕組みについての一言でした。

 現在社会は科学技術や知識の急速な革新によって、産業の現場では常に新しいスキルや知識の獲得が必要となってきています。しかし、人間はすぐにそれについていけるほど、がんばりやさんではありません。もちろん本気でがんばればついていけるでしょうが、みんなが本気を出してがんばれる訳ではないのが世の常です。そこで、現代社会においては、新しい技術や知識が必要な人にニーズが殺到し、需給関係のバランスから、必要な技術と知識を備えた人に高給が支払われるようになります。それに対して、それ以外の人の給与は相対的にさらに低くなっていきます。これが今回書かれていた基本的な仕組みです。

 もし格差社会が問題だというなら、どうすればいいか。氏が言うには、そこで教育が大事な訳です。市場価値のある知識と技術を備えた人が増えれば、労働の需給バランスから、給料の高低の差は狭まります。このマクロな視点がやはり金融行政の人という感じですね。

 グリーンスパン氏はアメリカの初等中等教育の改善が課題と考えているようでしたが、日本ではどこを変えるべきでしょうか。格差を今後日本で広げたくないとすれば、教育の成果に対して大幅なてこ入れが必要でしょう。教わる子供は柔軟であっても、教える大人が柔軟であるとは限りませんが、そこはどうやって解決すべきなのでしょうか。大学の役割はどういったものでしょうか。

 もちろんこんなに急速に変わっていく社会についていきたくないという人も多いでしょう。その場合の解決策も考えないといけません。もうすでに世界は急速な変化の渦の中にあり、もう誰も止められないでしょう。早い川の流れの中で立ち止まっておくには、しっかりとした土台が必要です。進歩についていかないとすれば、それはそれで大多数の人々の内面に大きな変化を必要とします。

 地球のように多くの人々が住む場所では互いの動きによって相互に大きな影響が生まれます。そこには大変な軋轢やストレスが生じます。集団生活って大変だなあとつくづく感じます。地球という壁のない部屋の中での100億近いメンバーでの集団生活を我々は送っているのですね。