シシリアン・ガンビット

 先日,九州大学ユーザーサイエンス機構の主催するシンポジウム「感性はデザインを生み、デザインは感性を育む。」に行ってきました。

 お目当ては,大阪大学大学院 教授・デザインディレクターの川崎和男氏の基調講演でした。MOMA永久収蔵のチタン製車椅子やパウエルさん御用達の眼鏡のデザイナーとしてちまたでは有名な方です。僕も行って初めて知ったのですが,最近は理工系の大学院にデザイナーの観点からメスを入れての大学院改革をバシバシと進めているようです。

 プレゼンの最初,数分間は6台のプロジェクターとサウンドシステムを活用したイメージビデオみたいなものが流れて,ちょっと引きましたけど,講演内容には極めて感銘を受けました。講演のあと,先日出版された氏の著作を見てみたのですが,エッセンスは同じでしたので,関心がある人はぜひ手にとってもらえればと思います。
 デザインという先手 日常的なデザインガンビット (MAC POWER BOOKS)デザインという先手 日常的なデザインガンビット (MAC POWER BOOKS)

 印象に残ったことの1つは,日本の大学に対して,氏が駄目出しを連発していたことです。つまり,日本の大学という場所は,人々に驚きや感銘を与えていないのではないかということです。特に大きな大学では,研究が使命になっていると思いますが,だとしたら,その大学の中では,世の人々があっと驚くようなすばらしい研究が進んでいるというのがしかるべき姿ではないでしょうか。にも関わらず,大学で行われている研究が民間のものより先に進んでいるというのは,基礎分野の一部にすぎません。ほとんどの人は,大学の研究に期待していないのです。この観点からみると心理学という分野や教育心理学という分野は極めて厳しい状況にあることがわかります。心理学の研究成果が無いと仕事ができない,あるいは教育心理学者がいないと優れた教育はできないという状況ではないのは誰もが知っています。日本や世界の人々を驚かせるような仕事をしているでしょうか?学会の中で成功した人が果たして大学以外の世界で,認められて雇われるということがそれほどあるでしょうか?根本的に,研究活動のあり方を見直す必要があるのではないでしょうか。

 大学の研究者の消極的な姿勢を氏が指摘して言うには,文部科学省の競争資金を勝ち取って満足しているというような大学や研究者が非常に多くいるということでした。たしかに。僕も心のどこかで,21世紀COEとか取ってるところは凄いなあという感情を持っていました。しかし,本来,必要な研究,意味のある研究というのは,文部科学省に評価されるかどうかなどと関係がないはずです。つまり,世の中がこれからどのように動き,その結果,どんな困ったことが起きて,それに研究者がどんな解決法を示すことができるか,そのようなことを自らの体と頭で考えて,つぎつぎと先手を打っていく,そのようなスタイルが,当たり前ですが,必要な訳です。
 その精神を説明するときに氏が出してきたのが「シシリアンガンビット」という薬の名です。これは心臓の不整脈に対して,症状に先手を打つという意でつけられたものです。本来は,チェスの用語「クィーンズ・ガンビット」という用語から来ているそうです。事の顛末は下記のサイトをご参照ください。
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/tootake/1996.4.1.htm

 もう一つ,「感性」に対する研究のあり方にについても考えさせられました。当日頂いた資料の中に,ある研究者が食物の風味を測定する機械を開発したことが掲載されており,「プリン+醤油=ウニ」であるみたいなことが研究で分かったということが書いてありました。しかし,それって人間の感性を侮辱するような分析ではないのだろうかとさえ思いました。もしそれでウニの味を大量生産するとして,大手外食チェーンなどでウニににた“おいしい”食べ物が安く食べられるとしましょう。その時,人間の感性は豊かになっていると言えるでしょうか? 逆に人間の感性を衰えさせてしまうのではないでしょうか。そのようなことから考えると,感性工学という名のもとに行われる研究が,将来的には人間の感性を豊かにするかどうかで,感性工学の研究の質は評価されるべきではないでしょうか。プリンと醤油で作られた偽ウニを食べて「おいしい!」なんて言っているレストランの光景と「感性」という言葉の重みはいかにも釣り合わないと思いませんか?

 こういうところこそ,文系の研究者の本領を発揮すべきでしょう。場所を改めて,いずれ「心理学」そのものについても,もっともっと考え直すべきかもしれません。