議論力にかかわる文化要因

 福岡という地が持っている文化は,いくつかの点でパブリックな議論力を育成するのを阻害する要因を持っていると僕は考えている。というか,前からそういうことを考えていて,今日改めてそう思わせる出来事があったので,ついでにまとめておきたい。

1.お互いの面子を守ることに重きが置かれていること
 お互いに良くないところを忌憚無く指摘することがなくなってしまう。すると,他の人から普段いろいろと指摘されることが少ないので,自分を客観的に見る機会を剥奪してしまう。

2.相手の言わんとすることを気持ちでくみ取ろうとしすぎること
 会話では確かに相手の意図をくみ取ることが大事であるが,パブリックな場では,明言化された内容以外の内容をくみ取りあうことは非常に危険である。なぜなら,パブリックな場というのは誰がいるか分からないからである。意図のくみ取りあいは,互いへの信頼と有る程度の慣れがあるような関係性の中でその威力を発揮する。
 たとえば,質疑応答の際に,相手が自分の言ったことに質問をする。その時に,相手が言った実際の内容を越えて,「実はこんなことを言おうとしているのでは?」とか「相手の言っていることの裏には,こんな辛辣な批判が含まれているのではないか?」などと憶測してします。すると,恐ろしくてそれ以上何も言えなくなってしまう可能性がある。

3.会話に笑いやオチをもとめない
 毎日の会話に笑いやオチを求める関西圏のコミュニケーションでは,毎日の会話がプレゼンテーションである。自ずと,自分のいいたいことを効果的に伝えるための訓練となる。大阪にいくと,いつも多くの人は的確な道案内をしてくれる。これは会話に笑いを求める文化と関係しているのではないか?

4.福岡の人は福岡を中心に考えている
 ここまでくるとちょっと直接関係ないかもしれないが,ある後輩は,福岡に初めてきたときに先輩から「おまえ,なまっとう」って言われたらしい。おまえもな。ちょくちょくこういうことはあるが,福岡の人はなんだか福岡を首都か何かと思っているのでは?と思っていることがある。こういう思考をしてしまうと,自分がマジョリティだという認識になってしまい,自分とはまったく立ち場が違う人のことを考慮できなくなってしまうのではないかと思う。この点は,まだちょっと怪しいので,ペンディングだが。

That's all for today, folks !!