ポスト終身雇用時代の議論研究の意味

 今日は「なぜ議論を研究するのか」ということについて,経済的社会的変化から考えてみたいと思います.

 タイトルで「ポスト終身雇用」などと書きながら思いましたが,「既に終身雇用の社会は終わった」などと言うことが意味無いくらい当たりまえの事になってしまった感があります.

 今,経営学では,知識管理(ナレッジ・マネージメント)という用語がしばしば見られるが,知識管理が非常に注目されていることも,終身雇用が実質的に消えてしまったことと関係がある.
 http://kw.allabout.co.jp/glossary/g_career/w000716.htm

 簡単に言うと,知識管理とは,ある組織内で成員が共有する知識やスキル,コツなどをうまく記録・共有し,実際に業務に携わった本人がいなくなっても,彼らによって蓄積された何かを他の人々が利用できるするようにするための方法やツール,考え方などに関する営みを指している(詳しい説明は他のページを参考にしてくださいね).

 つまり,知識管理が非常に重要になるほど,組織における成員性は流動的になっているということである.このような状況では,組織の成員はしばしば自分の経験を明文化したり,他の成員に伝達したり,関連したデータを上手に保管しないといけなくなってくる.また,成員が流動的ということは,互いをよく理解していない状況で,意思疎通や業務内容の伝達,協同問題解決,協同意思決定などを行う必要が出てくるということである.

 もちろんこんなにがらがらと人が入れ替わるような社会が本当に良いのか?という疑問は若干残るけれども,さしあたってこのような状況を切り抜けるために,あるいはこのような社会の在り方や方向性そのものを議論し,変化させていくための1つのキーが議論能力だと考えられる.

 このように今の社会は,他者への説明や協同問題解決の手段としての議論能力に重きを置くようになってきている訳ですが,このような変化はまだ始まったばかりで,そのような状況に今実際に置かれていない人にとっては,実感の沸かない世界だと思われる.そして,実はこの「実感の沸かなさ」がいろいろな問題を生み出しているのではないかと思われる.その最も顕著な例が,初等から高等までを含めた教育現場ではないだろうか.

 教育というのは,おそらく社会に出る前に,社会に必要な態度・能力・スキル・知識を子どもに獲得させる機能をもっており,社会と学校は比較的断絶した関係にあるという特徴をおまけとして備えている.そのため,今やっと社会で求められはじめたばかりの態度・能力・スキル・知識などを学校は準備してやることはできない.そのために学校というのは,子どもに役立つ何かを提供するはずであるにも拘わらず,その反対に,既に時代遅れとなった何かを子どもに準備させることになってしまう.

 そのような状況を改善するために必要な1つの教育研究が,議論能力をどうやって初等教育中等教育,高等教育で獲得させるかということに関わる研究である.具体的にはいろいろな研究がありうるが,それはまた今度.