議論研究の展望

 今日の書き込みの内容は,とある雑誌向けの原稿で,もうちょっとすると出版されるものなんですが,世に出るまでの間,自己紹介のために全文を紹介したいと思います.出版までの間,どうぞよろしく.

議論を通した「思考の変化過程」と「思考力の発達過程」の解明に向けて

 一人で物思いに耽る時も,学期末テストを解答している最中も,人は本来的に社会的過程としてそれらに取り組んでいる.例えば何かを考える時,私たちの心に浮かぶアイデアは過去に誰かが自分に投げかけた疑問に答えるものであるかもしれない.また,私たちが答案を見直して間違いを発見する時,その間違いは過去に先生から指摘された間違いと同じパターンのものかもしれない.このような例には枚挙に暇がなく,最近の認知発達研究でも,人のあらゆる認知能力・知識・信念等が他者とのやりとりを通して構成されるということを理論的前提とした研究が主流になってきている.しかし,このような「ある個人が現在おこなっていること」と「その個人が過去に経験した,他者とのやりとり」の密接な関係を実証することは比較的困難であり,最近になってやっと具体的な研究が始まったばかりである.
 議論研究の魅力の1つは,このような認知発達研究上の問いに答えを出していく可能性にある.人の認知能力・知識・信念の獲得過程の具体的な研究テーマとしては,例えば「教室での議論を通した知識構成過程」や「ある文化内で顕在的な活動体系が成員の認知能力・知識・信念の形成にどのような影響を与えるか」,あるいは「企業や科学者コミュニティにおいてどのように問題解決がなされ,知識が再構成されていくのか」といった問題が挙げられる.
 さらに教育的な観点から見た場合,議論研究が重要であるもう1つの理由は,国際化の進展によって今世界中のあらゆる市民に議論能力の向上が求められている点である.ビジネスや市民活動において最近注目されている概念に,ソーシャル・キャピタル,知識管理,実践コミュニティ,ファシリテーションなどがあるが,これらは全て個人の議論能力を基盤して成り立つ.現代生活において議論能力がこれほど重要になってきている一方,日本では全ての教育課程においてそれに見合った教育実践が実現していないのが現状である.九州大学では,この状況を改善すべく,筆者が修士課程から指導を受けている丸野俊一先生と加藤和生先生を中心に,対話的学習を実現するための教授スキル訓練プログラムの開発を目指した実践・基礎研究がおこなわれてきている.筆者がこれまでおこなってきた研究は,これらの中では基礎研究に相当するものであり,議論を通した「思考の変化過程」および「思考力の発達過程」の解明を目的としている.

「思考の変化過程」を探る
 従来,問題解決や認知発達,組織についての研究では,成員間の意見の対立が問題解決や認知発達を促進すると考えられてきた.その後,単に意見が対立しているだけでは無く,対立した意見同士を関連づけ,共通見解を見出そうとする過程こそが認知的促進をもたらすという見解も報告されるようになってきた.しかしながら,これらの研究はいわゆる「よく定義された問題」を協同で解決する課題が多く,むしろ私たちの日常生活に典型的な(1)解が予め設定されていない,(2)解の適切さを評価する基準は自分が設定しなければならない,(3)問題の前提や範囲が自分の判断に任されている,(4)正否のフィードバックが与えられない,といった性質の問題においては検討されていなかった.そこで富田・丸野(2005)では,大学生を対象に後者のような特徴を持つ議論場面を設定し,「他者の発言内容に対して疑問点を指摘したり,反論や別の考えを主張したりする発話」である『葛藤的発話』と「他者の発言に同調するのではなく,他者と協同で考えを構成していく発話」である『協調的発話』のいずれが「新しいアイデアの生成」や「既存の考えの棄却」を促進するか検討した.その結果,「新しいアイデアの生成」と「既存の考えの棄却」のどちらにおいても,『協調的発話』のみが思考を促進した.
 さらに,『葛藤的発話』『協調的発話』以外の発話タイプを含めて,発話カテゴリ間の連鎖関係を検討したところ,『協調的発話』は『説明』を有意に引き出したのに対し,『葛藤的発話』は『説明』を引き出さなかった.つまり,『協調的発話』が思考を促進した背景には,『協調的発話』が活発な『説明』を引き出したことが関係していることが示唆された.
 では,なぜ『葛藤的発話』は『説明』を引き出さなかったのだろうか?相手が自分の意見に反論してきた場合,私たちは自分の考えについて説明せざるを得なくなるはずではないのだろうか.Keefer, Zeitz & Resnick(2000)の理論的枠組を援用すると,『葛藤的発話』が議論相手の『説明』を引き出すかどうかは,議論の参加者がその議論をどのような文脈として捉えるかに依存すると考えられる.生産的な議論においては,意見の相違は議論のスタート地点と見なされ,参加者は互いの意見の違いを明確にした上で,互いに納得できる結論を目指して交渉を進めることになる.このような状況では,互いの歩み寄りの土台作りのために自分の考えを明確に説明する発話が互いに繰り返させられることとなる.他方,同じ反論であっても,自分の見解を相手の反論から守ることにもっぱら注意が向けられてしまうと,自分の考えを十分に相手に説明するというよりも,相手の考えのもっともらしさを減じるために発言したり,詭弁に訴えたりしがちである.つまり,このKeeferらの枠組からすると,反論などの『葛藤的発話』はそれ自体で生産的な議論の場を提供するのではなく,『協調的発話』を含む,互いの考えを歩み寄らせるためのやりとりと組み合わされて初めて参加者の思考の進展を促すことになるのだと考えられる.
 以上のような相互作用の質が認知過程に与える影響に関しては,これまでの研究は,異なる条件の群間で議論の前後の成績を比較するという手法を採用していたため,議論でどのようにして個人の考えに変化が起こるのかが明確でなかった.それに対して富田・丸野(2005)は,考えが新たに生成される過程そのものを明らかにしようとしている点で,議論研究に方法論的な貢献をおこなっていると考えている.

「思考力の発達過程」を探る
 次に紹介する研究は,個人の思考力の発達について,アーギュメント・スキルの獲得という観点から先行研究をレビューし,整理した研究である(富田・丸野,2004).アーギュメントとは,ある主張を構成する,理由付けを中心とした一連の修辞的形式や,それらを含むやりとりを指す用語である.図1は,アーギュメント・スキルがどのような構成要素から成り,それらがいつどのような場で育まれるかを整理したものである.
 図1にもあるように,大学でのゼミやサークル,インフォーマルな仲間関係など,議論することが自然と動機づけられるコミュニティに参与していくことで,思考スキルの重要な諸側面が培われると結論づける研究も多い一方,それ以前の段階で既に思考スキルが規定されるという見解を支持するデータもある.これから解決すべき課題の1つは,議論を促進するコミュニティへの参与がどのようにして参与者の思考スキルや議論スキルを培っていくのかを,その過程も含めて実証していくことである.

図1.アーギュメント・スキル獲得の仮説モデル(富田・丸野,2004)

これからの議論研究
 議論研究を進める上での1つの障害は,談話データの詳細な分析に多大な労力と時間を費やしてしまうことである.そこで筆者が必要だと考えているのが,辛く長い研究行程を助けてくれる分析ツールの開発である.その分析ツールの一候補として考えられるのが,テキスト・マイニングという情報工学の手法である.テキスト・マイニングとは,テキスト情報を分析の対象としたデータ・マイニングのことであり,莫大な量のデータから意味のある情報を効率的に探索し,効果的に可視化する技術などを指している.この技術を用いることで,何十時間もの議論や学校の授業の書き起こしから,話の展開の鍵となる語を探索することなどが可能である.
 ここでは,丸野研究室で筆者と博士後期課程在学の松尾剛氏が中心に進めている,教室談話のテキスト・マイニングを紹介したい.図2は,小学校国語の教室談話を,語と語の相互関係という観点からネットワークとして表現したものである.いくつかのプログラムを組み合わせることで,書き起こしからごく短時間でこのような図を書くことができる.この図では,左側に教科書の内容を表す語,右側に児童が教科書以外から持ち込んだ知識内容を表す語が布置されており,両者間の繋がりを見ることで,教科書の内容と児童達の既有知識が相互に関連づけられている様子が分かる.Matsuo, Tomida, & Maruno(2005)は,右側の語のうち,複数の時間に共通して出現する語(ここでは「固まり」「つながり」)が,物語の読みが深まるきっかけとなったキーワードである,という分析の視点を提案している.さらに,そのキーワードに関連する語や発話者をデータから探索することで,誰のどの発言が議論の重要な展開のきっかけとなり,そのきっかけを膨らませるために貢献したのかを明らかにすることが出来た.このような技術は今後議論研究を爆発的に発展させる可能性を秘めていると筆者は感じている.

図2.ある国語の教室談話を縮約したネットワーク図

さいごに
 議論という豊かな営みを科学の対象とするためには,特定領域に依存した知識や方法論のみでは歯が立たない.議論を研究するには,研究者自身が関連した他のディシプリンに触発されながら,それぞれの研究目的に適した研究手法を独自に開発することが必須であると思われる.
 筆者にとっての議論研究は,研究対象が研究者を「真の意味での対話」に巻き込もうと常に挑発し,研究者はそれを時に受け入れ,時に拒絶しつつ,揺れ動きながら進展する営みであると感じている.このような対話の過程に,今後さらに多くの人々が加わり,議論研究が「研究領域の壁」や「文系・理系の壁」,「実践と理論の壁」を越えた新たな研究領域として展開していくことを期待したい.

引用文献

  • Keefer, M. W., Zeitz, C. M., and Resnick, L. B. (2000). Judging the quality of peer-led student dialogues, Cognition and Instruction, 18, 53-81.
  • Matsuo, G., Tomida, E., and Maruno, S. 2005 Classroom discourse analysis for the era of accountability: a method for discovering the most contributory utterance to extended reading of literature and its evolving process. Submitted to Annual meeting of American Educational Research Association. Kyushu University.
  • 富田英司・丸野俊一 2004 思考としてのアーギュメント研究の現在 心理学評論, 47, 187-209.
  • 富田英司・丸野俊一 2005 曖昧な構造の共同問題解決における思考進展過程の探索的研究 認知科学, 12, 1-17.