北海道でシンポジウムがあります

 今週末,北海道の浅井学園っていうところで,「日本教育心理学会」の総会があります.そこで,シンポジウム(土曜,午前9時半から)をするので今日はその宣伝です.

 って書いても,意味あるのかどうかわかりませんが,追ってこのブログでどんなだったか報告します.僕の発表だけは,できたら音声ファイルもアップしようかなと思ってます.


図1.ちょっとだけよ.



 内容は↓こんな感じです.実際の内容はちょこっと違いますけどね.

議論力・思考力を育む教育実践とその理論的,実証的研究
    企画・話題提供:富田英司(九州大学 大学院人間環境学研究院)
    司会:丸野俊一(九州大学 大学院人間環境学研究院)
    話題提供:抱井尚子(青山学院大学 国際政治経済学部
    話題提供:中野美香(九州大学 大学院比較社会文化学府)

 昨今,本邦では,国際社会や日本社会の経済的・文化的・制度的変化を受けて,「個人的背景や所属集団の異なる人々の間で行われる生産的な議論」を支える思考力や関連基礎能力の育成が求められている.このニーズに応える形で,本邦の教育心理学者の間でも,いくつかの個人研究やプロジェクト研究が立ち上がっている.
 本企画の目的は,このような研究に関心を持つ研究者間の情報交換と議論の場を設定し,議論力・思考力の教育に関する研究のさらなる活性化に貢献することにある.特に,本企画の焦点は,高等教育を対象とした,議論力・思考力の教育を支える実証研究の基盤作りと理論の深化,および教育実践の提案に置かれている.

批判的思考教育の手段としての批判的討論:その暗黙の前提に潜んだ落とし穴
抱 井 尚 子(青山学院大学
 これまで論理的・客観的・中立的思考と深く関連する思考として認識されてきた批判的思考(critical thinking)は,多文化教育の概念の広がりとともに,一部の研究者の間では,倫理的推論によって社会的正義を求める思考へとその定義を変容させてきている(e.g., Kincheloe & Weil, 2004; Weil, 1998).多くの批判的思考研究者の中でも,この新たな流れを作り出すことに特に貢献したのがRichard Paulである.Paul(1990)は,批判的思考の発動において「公平な心」(fair-minded)という態度(dispositions)の存在がいかに重要であるかを強調している.Danny Weil(1998)もまた,Paulの主張を引用しながら,多文化教育の観点から行われる批判的思考教育においては,倫理的推論が礎石となってはじめて意味のあるカリキュラムを作ることが可能になると述べている.
Paul(1990)は,批判的思考の育成を促進する教授法として,教師から学習者への一方的な知の伝授にみられる”didactic”な教育ではなく,解が一つに定まらない問題(multilogical problem)について,学習者が異なる視点を持つ他者と活発な議論を行うことで,弁証法的(dialectical)・対話的(dialogical)思考を育むことこそが,批判的思考の育成には有効であると主張する.Paulによるこの批判的討論においては,公平な心をもって複数の視点を吟味・統合し,より優れた議論を他者との協力のもとに構築していくことが求められる.
 批判的討論は,学習者による多面的視点の認識や異なる視点への共感的理解を促進するという点において,批判的思考教育の優れたツールになり得ると筆者自身も考える.しかしながら,批判的討論の効果的な実現には,対話する力,つまり言語コミュニケーション能力を,学習者ひとりひとりが備えていることが前提となる.このことは,批判的思考教育を考えるとき,コミュニケーションの諸問題に関する考察がいかに重要であるかを示唆している.ところが筆者の知る限り,これまでの先行研究の多くは,コミュニケーションの重要性について表層的には触れてはいるものの,コミュニケーション学的な視点から深い考察を加えているものは少ない.
 わが国でも批判的思考教育に対する関心は年々高まりつつある.そこで本報告では,特に日本の大学教育における批判的思考育成のあり方に照準を絞り,Paulが提唱する批判的討論を日本の大学教育において実現する上で考え得るコミュニケーションの諸問題について検討する.具体的には,(1)日本語がもつ「パトス的レトリック」の特徴(メイナード, 2000),(2)日本人にみられる「言語コミュニケーションに対する低いモチベーション」(Kim, 2002),そして(3)日本人のコミュニケーション行動を理解する際に欠くことのできない「面子」の概念(末田, 1998)の,3つの異文化コミュニケーション理論の枠組みを用いて,本報告における議論を展開する.また,主張の妥当性を支えるエヴィデンスとして,筆者が現在進行中である大学生を対象とする批判的思考研究の面接調査データの一部や,日米両国の大学において教鞭を取った経験がある筆者自身の洞察などを交えて紹介する.

パーラメンタリ・ディベートは議論能力を向上させるか?:教育ディベートの新たな可能性
中 野 美 香(九州大学
 ディベートは,法廷・政治・学術など実社会で行われる実践(応用)ディベートと,教育を目的として行われる教育ディベートの二つに大別することができる.日本においては,教育ディベートは元々学生を中心とした活動が主であったが,近年では様々な教育分野で導入が試みられるなど,教育ディベートへの関心はますます高まっている.
 教育ディベートにはいくつかの形式があるが,その中でも主なものとしてナショナル・ディベート・トーナメント(National Debate Tournament,NDT)形式とパーラメンタリ・ディベート(Parliamentary Debate,PD)形式が挙げられる.NDT形式はアメリカの法廷をモデルとし,入念に準備された原稿や証拠資料を用いて論理性を重視する形式である.日本のディベート・コミュニティでは長い間NDT形式の活動が独占的に行われてきたため,一般的にも「ディベート=NDT形式」というイメージが定着している.また,その影響を受けて,日本社会一般でも「ディベート」という言葉はNDT形式とほぼ同義で使われてきた.
 一方,イギリス議会をモデルとするPD形式は聴衆とのコミュニケーションに重点を置くなど,NDT形式と異にする点が多い.現在,PDは社会のグローバル化と一致するように世界的な広がりを見せており,この普及の主な理由はPDが持つ,次のような独特な5つの特徴にあると考えられる:(1)専門家ではない,一般の聴衆を対象にしていること,(2)論理性のみならず説得性も重視されること,(3)内容と同様に伝え方(ジェスチャー,修辞法など)も評価されること,(4)論題は政治・経済,教育など日常生活のあらゆる問題から出題され,試合毎に異なること,(5)賛否どちらの立場になるか試合開始の20分前までわからず,各スピーチの間に準備時間が挟まれないため,即興性が問われること.
即興的な対話力や多様な知識を必要とするPDは,グローバル化社会で求められる基礎能力であるグローバル・リテラシー,つまり情報を実際に入手し,理解し,意志を明確に表明できる「世界へアクセスする能力」「世界と対話できる能力」への効果が期待できることから,将来を担う人材育成のための教育方法として国際的に注目を集めてきている.それにも関わらず,PDが研究分野で注目され始めたのは1990年以降のことであり,日本においては中野(2004,他)に限られるなど研究がほとんど行われていない状況にある.
 そこで本発表では,PDの特徴を紹介した上で,PDへの継続的な参加がもたらす思考力や言語能力の教育効果について報告する.教授法という視座からPDの形式に着目することで,従来の教育ディベートの問題点を克服し得る,PDによる教育ディベートの新たな可能性について提案する.

個人の議論力の高さを規定する思考力を求めて:『対話的思考力』の定式化とその実証研究
富 田 英 司(九州大学
 日常的文脈での生産的な議論を支える思考力とはどのようなものなのだろうか?そのような思考力は,批判的思考やアーギュメント(富田・丸野, 2004)の研究において定式化が試みられてきたが,これらのほとんどは日常的文脈での生産的な議論を支える能力としては不十分,あるいは不適切であると言える.例えば,Kuhn(1988,他)は,一連の研究で面接法を用いた思考能力の測定手続きを開発しているが,そこで主に測定されたのは科学的に妥当な根拠の生成能力である.もちろん根拠性を判断する能力は,推論の問題点を明らかにする上で重要である.しかし,議論の場で推論の欠陥ばかりが指摘されたとしても,生産的な議論には結びつかないだろう.
 そこで筆者は,日常的文脈での議論を生産的なものにする思考力として,『対話的思考力』を独自に定式化した.対話的思考力は,「批判的分析能力(自分や他者の考えを批判的に分析し,疑問点や問題点を指摘する能力)」,「争点分析能力(所与の情報や意見を対立的に整理し,問題の争点を明らかにする能力)」,「認識論的探索能力(自分や他者の依って立つ暗黙の前提を明らかにする能力)」,「具体化能力(曖昧な,または抽象的なテーマを具体的な問題へと置き換える能力)」などの下位能力から成る.
 本発表の第1の目的は,これらの下位能力のうちのいくつかを測定するための,具体的手続きを提案することである.第2の目的は,これらの下位能力のうち,「争点分析能力」と実際の議論のパフォーマンスがどのように関わっているかを検討することである.なお,今回の調査対象は,大学生および大学院生である.特に,議論能力の異なるサンプルを比較するために,ディベート・サークル等で議論活動に継続的に参加してきた学生と,特にそういった経験のない学生の両方を調査対象とした.
 以上の研究は未だ探索段階のものではあるが,議論力と思考力の相互関係について議論するための1つのきっかけとしたい.