「議論」をめぐる温度差

 ずっと僕が気になっていたことをきれいにまとめてあるブログを発見しました。これは研究領域を問わず,研究者が研究のことなどを書いている日本のブログをまとめたブログです。
H-Yamaguchi.net: 研究者のblog

 前から感じていましたが,なんと少ないことでしょう!ここにあるのはせいぜい2,30ってところでしょうか。ということは,僕の専門領域である心理学や認知科学関係で言えば,どれだけ少なくなってしまうことでしょう。ブログを開設している人の中でも,本当に研究についてのアイデアや議論を中心としているものはもっと少ないはずです。

 しかし,日本心理学会の会員は7000人を超えるのですよ。一体どういうこと?H-Yamaguchi.netさんが書いておられるように,そして梅田望夫氏も書いておられるように,ブログは研究のための議論にものすごく向いていると思うのですが。もちろん「すべての研究者がブログを書くべきだ」とか「研究者のブログは日記であってはいけない」とかって言いたい訳ではありません。研究っていうのは,基本的に議論をすることでアイデアが洗練されていく訳で,なかなか自分の所属している大学や部署に興味を共有する研究者がいることは少ないという現状をふまえると,ブログを研究の道具として活用するケースがもっと多くても良いはずだということです。

 特に研究者っていうのは,他の業種に比べて,知的な好奇心にありふれているはずでは?文系,理系を問わず,世の中のいろいろな新しい動向にアンテナを張り,自分の研究に関連がありそうなもの,自分を知的に刺激してくれそうなものがあれば,どんよくにそれらを体験し,吸収・消化し,それを専門の研究に反映させる,それが研究者のイメージではないのでしょうか。少なくとも僕にとってはそうです。

 日本の研究者は研究のために,自分のアイデアについて議論したいと思っていないのか?それとも新しい技術に興味を持たないのか?考えてみたら,大学内で,先生たちが食堂なんかで,夢中に議論している姿なんかほとんどみたことありません。たとえば「大学院生が廊下で先生をつかまえて質問したところ,それをきっかけとして議論が白熱する」とか「談話室や図書館の休憩室で,新しい論文のことについて議論する」とか見たことありません。みなさん,日本の大学でそういうシーンをみたことがありますか?大学院の飲み会でも,研究の話で盛り上がるってことはあまりありません。少なくとも僕の周りでは。

議論による意見交換,それによるアイデアの進展を必要とする人は誰か?

 では,ちょっと視点をかえて考えてみましょう。日本人は議論をしなくても創造的な仕事ができるってことなんでしょうか?議論には向いていないから,メールとかの方がいいのでしょうか?そんなことはないと思います。

 それを示すのが,大学以外の場で,あるいは一部の研究領域で,今「議論をどうすすめるか」「どうやって議論の力をつけるか」が話題になっていて,さまざまなセミナーやメソッドが開発されています。たとえば,ケースメソッドやファシリテーションなどがあります。今それに飛びついているのは,新しいビジネスモデルを画策するビジネスマンや法曹界の人々,そして新しい研究領域を開拓している一部の研究者たちです。

 彼らは,議論を道具として使って,新しいアイデアを自分の仕事の創造性を高めるために使いたいと本気で考えていると思います。

 では,創造的な議論の手法について興味を持たない研究者は,創造性を高めたいと思っていないのか?本当に思っていないのかもしれません。欧米から新しい研究動向を取り入れて,それを日本でアレンジして適当に論文化して,教科書を書く。そういうことだけをするなら,もちろん創造性を高める必要はないですよね。一部には,そういう人もいるのかも知れません,残念ながら。

 あ,加えて,もう一つ,ブログを含めたインターネット上で,研究のアイデアを議論しない理由の候補がありました。「アイデアを盗まれるかもしれない」ということです。でも,なかなか人のアイデアって,本当に斬新なアイデアは盗めるものではないのではないかと思います。すぐに盗んで,論文にすることのできるアイデアっていうのは,そもそもたいしたアイデアではなくて,遅かれ早かれ,他の誰かが思いついたはずのものではないでしょうか?

 それに,僕の個人的意見では,むしろアイデアを盗んでくれたほうが,その「アイデアをわざわざ自分が形にしなくても,他の人がやってくれる」という利点があります。その間に,自分は他のやりたいことで,かつ,他の人がやりたいと思わない仕事を進めることができると思うのです。ですから,短い人生を有効に使うためにも,他の人が「ぜひやりたい」と思うような研究のアイデアは,ぜひその他の人にやってもらったほうが良いと思います。

 このことは研究領域によって事情は異なるので,一般化は難しいでしょう。すくなくとも僕が取り組もうとしている議論の研究っていうのは,研究してくれる人がまだ少ないので,提供できる研究アイデアが余っていたらいつでも差し出したいですね,僕は。ただ,残念ながら,僕はそれほど優れたアイデアを持ち合わせていませんので,なかなかアイデアを盗んでもらうほどまでには至らないかもしれません(笑)。

 要は何が言いたいかというと,もっといろいろな人が議論を楽しむようになったら,世の中もっといろんな面白い発想が実現がするようになったり,わくわくするような研究がもっと多くなったりするんじゃないか,と。もう,ただそれだけ。