今学期の講義の反省(1)

もう年の瀬ですから,今日と明日は今学期に僕が担当した講義について,その反省を書きたいと思います。

今年も,ある工業系の大学で「コミュニケーション論」という授業を担当しました。この授業のシラバスを書いたのは,昨年のこの時期ですが,そのころはインターネット上で,ブログを中心にした新しい,創造的で刺激的な知のコミュニティが出来つつあることをほとんど知りませんでした。ブログについては知っていたのですが,これほどエキサイティングで,可能性のあるものであることに気づいていませんでした。

しかし,その後,夏前ごろにブログのサービスを探しているうちに,「はてな」と出会いました。そして,ブログのみならず,インターネットの使われ方がここ数年で劇的に変わりつつあることを,いろいろな優れたブログを読む中で理解
していきました。こういうことがあったので,シラバス通りの「コミュニケーション論」をやるよりも,こういった新しいコミュニケーションの形態を探るような授業を展開する方が,僕にとっても,受講生にとっても有益だろうと思い,インターネット上のコミュニケーションと個人の思考との関係について主に考えていくような授業に急遽変更しました。

インターネット上のコミュニケーションはほとんど学問的ではないので,授業を体系的にしていくことが難しく,どのように授業内容を相互に関連づけるか,かなり課題は残っています。それに,講義をやる以上,専門的な知識体系と結びつけないといけないという僕の思いこみと,授業に受講者の一人一人が積極的に関与していくような授業をしたいという僕のねらいとが,僕の中で少し葛藤しているところもあります。

ということで,先日,こわごわながら授業についての感想とリクエストを課題として出しました。「内容が散漫で,何をねらっているのか分からない」というような厳しい意見もたくさんあるんじゃないかと思っていたんですが,おおむね良好で,授業が面白いという意見もたくさんあり,ちょっとびっくりしました(笑)。ていうは,授業中は割とみんなクールに構えてて,一部の人を除いて,面白いと思っているのか,つまらないと思っているのか,ちょっと見ただけでは分からないからなんですよね。なんだ,面白がってくれてるんですねえ。

もちろん,僕としてはもっと改善しないといけないところがたくさんあるので,その辺りは明日,また書き込みたいと思います。感想とリクエストも全文を公開する予定(っていうのは,それをまた授業で取りあげたいからですけどね)。

ところで,授業中,指名して意見を求めた時,全く意見を言えないっていうときももちろんたくさんあると思うんですが,こういうときの講師の対応の仕方にはいろいろ意見がありそうです。僕としては,「指名されても全く何も言わない」という時間も,指名された人にとって意味があると思っています。「何を言ったら良いか分からない」あるいは「何も言うことが浮かばない」という瞬間の自分をしっかりと味わう時間が,指名された人にとって意味のある時間だと思うからです。それが後にどのような事に繋がるかわかりませんが,少なくとも,自分という存在に向き合わざるをえない機会になると思います。もちろん,一部には,その時間の間,自分の自己意識を消し去るようにして,時間が過ぎるのを待つ人もいるかもしれません。しかし,そういう人はホンの一握りにすぎないと思います。そういう思いがあって,僕は,指名してから何も言わない時間を精一杯長く取ろうと努力しています。でも,これも他の受講者からするとじれったくて,無駄な時間のように思えるんですよね。その辺りのかねあいが難しいのですが,その時間を使って,他のみんなには自分の考えをさらに整理してもらえるとありがたいです。

みなさんはどう思われますか?指名されてからの沈黙の時間の意味について。

ちなみに写真は,こないだ僕が生まれて初めてゲーセンで取ったぬいぐるみです。なお,授業との関係は微塵もありませんので,あしからず。