「議論に開かれた態度」育成の妨げになる文化的要因

今日の書き込みは,研究メモです。

 今,小学校の理科の授業を分析して,論文にまとめています。その分析の過程で考えたことを書きます。

 子どもは,例えばグループでAとBという2つの意見に分かれてしまっているけれども,グループとして1つの意見にまとめないといけない場合,よく「じゃんけん」をしようとします。何かを決めるときにやたらとじゃんけんをするというのは,日本文化の特徴であると言われていて,これは大人も同じです。でも,じゃんけんをしてしまうと,そこには「なぜAが良いのか」「なぜBではよくないのか」といった,判断の理由付けをする機会が奪われてしまいます。従って,子どもの思考力や議論力をつけるためには,小学校の中で,「じゃんけん」や「くじ」といった手段があまり安易に利用されないように,先生と児童の中で文化的風土を培う必要があると思います。集団の中で波風を立てないようにするためには,「じゃんけん」や「くじ」は非常に良いのですが,議論力や思考力の育成の観点から見ると,それは子どもの学習の機会を奪うものであると言えます。

 もう一つ,小学校の中でみられる悪しき風習として「多数決」があると思います。よく学級会などでは,最終的に多数決によって何らかの集団意思決定が行われる場合がありますが,これも考えることを放棄する,議論することを放棄することを助長しかねません。もしかしたら,「多数決」が民主主義的だと思っている人すらいるかもしれません。もし徹底的な議論なしに多数決が行われてしまったら,それは民主主義ではなく,多数派の横暴でしかないのです。従って,多数決を教室で行う場合には,それまでの話し合いのプロセスにおいて,公平な判断の材料が全てそろったか,特定の意見の理由付けだけが取り上げられていないか,といったことを確認しながら,徹底的に議論しておくことが必要です。

 こういったことは学校で,思考力や議論力を養う上で基本となるものですが,このようなことを大事にする価値観を教師が持っておくことが大事であるということは言うまでも無いと思います。とすると,教師同士の間でも,どのような意思決定が普段行われているかが子どもに反映すると言えます。そういうことで,例えば,職員会議の仕方が本当に合理的な議論のプロセスになっているかということも大事になってきますね。

 特にオチはありませんが,研究メモなんで,これで終わりです。あしからず。