科学教育における議論研究

 年の瀬ですなあ。実感は全くないけれども 
 さて,このブログは議論学についてのものなので,ぼちぼち議論に関することにもっと力を入れようかな。いや,力を入れます。はい。
 今日はリハビリとして,今いろいろ読んでる論文のメモとして書きます。っていうのは,科学リテラシーについての研究を本格的にすることになったので今その準備中なのです。
 議論学と科学教育(日本では理科と呼ばれまして,初等および中等教育と,大学での教育がバラバラに議論されていますが,科学教育ではそれは同じ枠に入る訳です)というのは日本ではもしかしたらあまり関係無いと思われているかもしれません。しかし,最近,世界の科学教育研究ではかなり議論学の枠組みが注目されています。例えば,学習科学についての昨年の国際学会では,アーギュメントという言葉が入った研究発表がかなり見受けられました。日本ではその辺りをやっている研究者はあまりいないので,福岡からそれをやっていこうという魂胆な訳。仕事がたまりすぎてて不安ではあるが,意気込みでなんとかなる・・・かな?

メモはここから**************
 科学教育の重要な側面は,特に北米においては,科学的知識の獲得よりもむしろ科学的知識の生産方法の理解に置かれている。そのため,科学者のする様々な活動を生徒が行えるようになることが期待されている(Do what scientists doっていうようなスローガンね)。その中でも,科学的論争は科学的生産活動の最重要項目とされているため,議論能力の獲得そのものが科学教育の中心に位置づけられつつある。
 また,学習内容の理解という観点からも,議論力と科学教育は重要な関係にある。単なる情報の付与は科学的理解に結びつかないことが知られている。つまり,実験や観察をいくら行っても,教科書をいくら読んで知識を身につけても,既存の知識に関連づけて整理できないかぎり,身につけた知識は必要な時に適切な形で引き出されてこないのである。これでは科学教育の意味がないため,得られた情報を体制化し,既存の知識に結びつけるための枠組み的知識の教育が重要視されている。
 上のような2つの理由から,現在の科学教育では,トゥールミンの提案したものに代表されるような議論スキーマが注目されている。議論スキーマには,主張,根拠,反論,範囲の限定,反駁などの要素が想定されており,しかも,これは科学的論争に見られる知識構造と同じであるため,これらの要素を知識の枠組みにおける「スロット」として考えることで,大量の複雑な情報を生徒がうまく理解することに役立つと考えられる。そ のため,議論スキーマを身につけることが科学教育の成功を決める最重要要素の1つであると言える。