早稲田で出張講義?
今週は早稲田大学で出張講義の予定です。ご関心のある方は,下記に情報がありますので,どうぞご覧下さい。
http://www.f.waseda.jp/harada/courses/2007/manual07-j.html#lectures
しかし,早稲田大学は今はしかで休講中。中止になるやもしれません。内容は以下の通りです。
- 時系列情報を活用した教室の視覚的テキスト・データマイニング
現在,レポートに含まれる自由記述やBBS上での議論を対象にしたデータマイニングの研究が多く発表されるようになったが,教室内での発言についてはまだ研究報告が少ない。しかし,学習の効果を教室内での学習過程という側面から捉えようとした場合には,教室内でのグループ討論や全体討論などで発言されたデータを分析することが欠かせない。学習過程を問題にした場合には,単に語の出現頻度や共起頻度といった情報だけではなく,それらの時系列情報を活かして分析を行うことが必要になってくる。加えて,これらの分析結果を効果的に聴衆に示すと共に,分析を効率的に進め,研究者自身の発想を支援するためには,分析の過程や結果を効果的に視覚化することが重要である。そこで今回の講義では,時系列情報を活用した視覚的テキスト・データマイニングの手法として(1)トピック遷移分析,(2)重要発話語(者)の検出,(3)教室内での発話間引用ネットワーク分析,(4)教室間の発話間引用ネットワーク分析,という4つの手法を紹介し,それに基づいて受講者と共に議論する。
代数幾何のおべんきょう
一年くらい前にも書きましたが,代数幾何のおべんきょうを少しずつ進めています。今年はなんと豪華にも,数学を大学で教えている知人のIさんにお願いして,家庭教師的に行列計算のいろはを教えて頂いている。やはりすぐにその場で質問ができると理解が進みます。
僕はまだ数学に対して非常に大きな抵抗というかコンプレックスがあってまだまだ勉強するのがそれほど楽しくはないのだけれど,少し楽しくなってきました。それはなぜか。ようやく分かったのは,僕が苦手だったのは高校までの数学だったんですよね。目的も歴史的背景も習わないで,いきなりその結果を身に付けさせる。そういうのが高校までの数学だったのです。でも大学の数学は,特に工業系の数学は,目的がしっかりあって,そのために身に付ける訳。そういう数学は本当に理解しやすい。目的だけでなくて,やっぱり歴史も大事だと思う。誰がいつどうやってその数学的概念を作ったり,改善したのか,それはなぜ今でも残っているのか。何に使えるのか。歴史的にどんな意味があるのか。そういうことをしっかり学ぶことで,数式の理解もすんなり入ってくるのです。
もちろんそんな背景など知らなくても,数学的な世界が楽しいという人もいるでしょう。しかし,マジョリティはそうでないと思います。文系には高校の数学ではなくて,大学の数学が必要なのではないでしょうか。
これからの社会科学,人文科学は,特に総合的な研究をしようとすると,数学は絶対にあったほうがいいものです。大学の文系コースでの数学履修は導入の価値が大いにあります。ただ,先生には文系の思考法が理解できる方が必要ですね。それは目的とか歴史を大事にする数学の先生という意味です。
まあ,今日は単なる独り言ですが,数学に未練のある方,必要な方への多少なりともの福音になればと思います。
おまけでさきほどのIさんから紹介していただいた,よさげな代数幾何の本を紹介しておきます。なんで行列を使うのか,なんでそれが便利なのかの説明が素晴らしいと思います。今からべんきょうしますから,まだそれほど中身は読んでいませんが。
- 作者: 砂田利一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2003/10/11
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生態学的議論研究のための根拠資料1
いまギブソンの『生態学的視覚論』を読みなおしているのですが、ギブソンが会話などの社会的相互作用についてもアフォーダンスというものの見方のほうが、伝統的なものの見方よりも適していると考えていたことを示す一節を見つけました。
備忘録として、引用しておきたいと思います。p.45です。
他の動物が観察者にアフォードするものは、単に行動だけでなく、社会的な相互作用も含む。ある動物が動くと他の動物も動き、前者の一連の行為は後者の一連の行為と一種の行動的ループの中で相対している。すべての社会的相互作用とはこのようなものである。 ーたとえば、性的、母性的、競争的、協調的といったたぐいのものであり、また、社会的な毛づくろい、遊び、さらに人間の会話であることすらである。
以上の簡単な記述では、社会心理学において、アフォーダンスの概念がいかに有力かについては全く論じられていない。社会的刺激とか社会的反応、生物学的動因や社会的衝動などの古い概念ではどうしようもないほど不適切である。同じ生物仲間との生存を理解するには、これら生物が表すものを適切に記述し、そして、それらがどのように知覚されるかを分析しなければならない。
- 作者: J.J.ギブソン,古崎敬
- 出版社/メーカー: サイエンス社
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プロジェクトのホームページのご紹介
ネットワーク分析による議論の質の測定
こんにちは。かなり久々の書き込みになります。
いろいろと研究に関して進展がありましたので,書きたいことはたくさんありますが,あまり時間がないので今日は先日出版された紀要論文のご紹介だけしておきます。全文がPDF形式でダウンロードできます。
まだまだ分析としては洗練させねばなりませんが,アイデアとしてはまだまだ展開できるネタだと思っています。お時間のある方は是非感想を頂けたらと思います。
※サーバーの調子が悪かったので、ファイルの保存先を変えました。もうダウンロードできると思います。
知のアリーナでの格闘を堪能
今日は九州大学ユーザーサイエンス機構の授業で,茂木健一郎さんの講義(抗議?)を拝聴しました。ほとんどの話はそれほど目新しくありませんでした。知っていたことが多かったし,「そりゃあそうだよね」ということばっかりでした。
じゃあ,つまらなかったのか?・・・とんでもない!思わず涙が出そうになりましたよ,言ってることが真っ当すぎて。ふだん「これおかしいよなあ。本来ならこうなのになあ」と思うことを,氏の言葉の裏打ちによって支えてもらったような気がしました。氏がテレビで猫をかぶってるってこともよおく分かりました。今回の会場はアクロス福岡1Fにある円形のセミナールーム。ここがまさに円形闘技場のアリーナのごとく,氏なりの愛情あふれるジャブの応酬が繰り広げられました。
感銘を受けたことは多くありましたが,一つ「やっぱりな」と思わせられたこと,それは有能な人ほど教育を大事にするのではないかということでした。この仮説に初めて明確に気付かせてくれたのは,東京大学の岡田猛氏の集中講義のときでした。創造性の高い人はその技をいかに伝えるかということに非常に高い関心を示す,今のところなぜだかよくわかんないけど。っていうような話でした。
茂木さんは,かなり大胆な方法ではあったけれども,質問をしたフロアの参加者1人1人の話を良く聞いておられました。そして1人1人の状況に合わせて非常に細やかな神経を使って少しずつ対応を変えて,変幻自在に答えていました。それは1人1人を揺さぶろうとするとても教育者然とした姿でした。というわけで,授業を一生懸命しない先生は一流ではない,研究者としても,1人の社会人としても。。。そういう信念がますます強まりました。
今日の話の中で引っかかった言葉のメモを以下に残しておきたいと思います。
- 平均値へと引きずりおろすピア・プレッシャー
- もったいぶるのが教授の仕事?
- 第2の大航海時代(富田のメモ:大航海時代は大公開時代ってことでまとめられますね)
- ニーチェの言う「超人」とは?
- 「それって人間をバカにしていないか?」
- 人生の起源 → 幻影への着地
- 創造性の秘密は隠すこと,隠れること
- スクリーン・メモリー
- 偶有性
- 点数化できることは既にエスタブリッシュされたものしか評価できない。だから,そういった評価のものさしではなく,まだ評価の軸が定まっていないものを評価する目利きが必要なんだ。(by MITの石井さん)
- 学習する悦びは1人1人の心にある。
- 哲学的ゾンビ
なんのことだか分からないでしょうけれども,イメージをふくらませて遊んでください。自分用のメモですけれども,基本的に。